映画「カンタ!ティモール」トーク&ライブイベントレポート

先日シネマチュプキタバタで行われた映画「カンタ!ティモール」広田監督トーク&小向サダムさんライブイベントの模様をお届けします。

映画「カンタ!ティモール」

「カンタ!ティモール」は東ティモールと音楽を通した国際交流を実践している音楽ユニット「環音(わおん)」が制作したドキュメンタリー映画です。

舞台は南海に浮かぶ神々の島、ティモール。ひとつの歌から始まった運命の旅が、音楽あふれるドキュメンタリー映画となりました。

この島を襲った悲劇と、それを生き抜いた奇跡の人々。その姿が世界に希望の光を投げかけます。

当時23歳だった広田奈津子監督は、人々との暮らしの中で、現地語を学び、彼らの歌に隠された本当の意味に触れていきます。

そして出会う、光をたたえるまなざし。詩のようにつむがれる言葉の数々。 日本人が深く関わりながら、ほとんど報道されなかった東ティモールの闘いをとりあげた、国内初の長編作品です。

イベントは東ティモール独立記念日の5月20日に

15年前、21世紀で初めての独立を果たした東ティモール。その独立記念日にあたる5月20日に行われたイベントでは、広田監督とシネマチュプキ田端の佐藤支配人によるトークショーと、音楽を担当した小向サダムさんによるライブが行われました。

(左:「カンタ!ティモール」広田監督、右:シネマチュプキ佐藤支配人)

何故広田監督は東ティモールを訪れたのか?

佐藤
東ティモールに行くまでのお話を聞かせてください

広田
私は愛知県の郊外で生まれ育って、幼い頃は家の近くの雑木林で暗くなるまで遊んでいました。

4人兄弟の末っ子ということもあり、放し飼い状態で。大好きな大きな木があって、その木は私が言っていることがわかっていると思い込んでいました。たぬきの親子やきつねの親子が来ることもある、大切な場所でした。

10才の頃、宅地開発で更地になってしまって。それを見た時の驚きが、原体験にあると思います。

たぬきが巣にしていたであろう藪も全部更地になって、あの子どもたちは死んでしまったんだろうなと思うと、

私は人間の姿をしていたからたまたま殺されなかったけれども、どこでこの線引きがされているのかわからなくなって。両親に聞いても、土地には持ち主がいて、持ち主が望めば宅地になると言われて納得がいかないまま高校を出て、初めてインディアンの絵本に出会ったんです。

その絵本の中で、インディアンの部族が大地を母と呼んでいると知りました。そういう人たちもいるんだと感動して、カナダに行って儀式に混ぜて頂きました。あるおじいちゃんが、世界中に大地を母と呼ぶ民族が今も生きているから会いに行きなさいと言ってくれて、その言葉を胸に大学4年間で一人旅をしました。

佐藤
どんな所に行ったんですか?

広田
アイヌ、タイ、マレーシア、ハワイなど10か国ぐらい行きました。

その中で聞いたのが、ティモールの独立の話です。珍しいことがあるなと。どこの民族を見ても、国家をつくることは珍しい。調べてみたら、日本政府が深く関わっていると知って、ショックを受けました。

それなら独立記念日に、謝罪はしきれなくても、せめて市民の目線でおめでとうを言いたいと、最初はそれで行ったんです。

当時22歳だった広田監督。資金集めや式典へ出席するまでの道のりも、難航したという。

 

広田
行くまではとにかく必死で。飛行機の窓からティモールの島が見えてきたとき、急に足が震えました。

日本からお祝いに行くということを、誰が喜ぶだろう?ティモールの人たちは日本のことを怒っているに違いないと。

ティモールに着いて、お世話になる家のおばさんにそれを話したら、「人と国とを混同する人は、この島には誰もいないよ」と言ってくれた。もしそうしていたら平和は来なかったでしょうと。その女性に救われて、ちゃんと旅をしようと思えました。

 

歌を歌う青年アレックスとの出会い

(写真:ヘルデール・アレキソ・ロペス – 通称アレックス 引用:『カンタ!ティモール』ホームページより)

映画は、広田監督がある青年の歌に出会うところから始まる。

 

広田
最初に行った時には、歌声だけが聞こえてきて。人ごみで姿は見えなかったけど、メロディーが耳に残ったんです。翌年、彼は同じ歌を歌っていました。人ごみをかき分けて彼のもとに行き、詩を書き留めました。名前も連絡先も聞かずに帰ってきて、詩を読めば読むほどわからなくなって。

「ぼくらのあやまち」を大地は見ている。

ティモールは、小さなエリアに何万もの軍隊で陸海空から攻め込まれたのに、攻め込まれた人たちがなぜ「ぼくら」のあやまちと歌うのかがわからなかった。

広田「ぼくらのあやまち」の意味を尋ねたら、(彼は)ものすごく危険な時代をくぐりぬけているわけで、母国語で歌うことも処刑の対象になるのに、外国から人が来て歌の意味を聞くのはもっと危険なこと。戦争とは歌えないから、暗喩に込めて歌っている。歌なんて哲学だからと。

そんなことより島を見せてあげるとアレックスに言われて島を見せてもらっているうちに、ティモールの人たちには自分と他者を分けない精神性があることに気づきました。それは言葉にも表れていて。

自分と他人を分けないティモール人の精神性

広田
あなたを(現地語のテトゥン語で)「イタ」と言いますが、同時にわたしたちという意味になって、そこに区別が全くないんです。

イタ ニャン=あなたのもの=みんなのもの となる。
泊まる場所も、イタ ニャン ウマ=あなたの家 となる。

その土壌があるからこそ、「ぼくらのあやまち」と歌っていた。

インドネシアのあやまち、日本のあやまち、彼らのあやまちではなく、わたしたちのあやまちと捉えていたんだと。
日本もそうで、方言では相手のことを自分、われ、てまえなどと言いますよね。区別しないんです。

佐藤
戦時中は日本でもみんなで母乳をあげていたという話を、戦争体験者の方から聞いたことがあります。

 

映画「カンタ!ティモール」撮影のいきさつ

広田
はじめは映画にしようとは思っていなくて、アレックスがまた歌を教えてくれるかもしれないと、レコーダーだけを持って行ったんです。

でも行く先々で子どもたちはきらきらしているけれど、それだけではなくて、おじさんやおばさんの目に宿る光の強さ(を感じました)。
つい最近まで家族を殺されるような修羅場をくぐりぬけてきた人たちの目に宿る光が、まっすぐこちらを見てくる。(まるで)子どもに見られているみたいに。

それ(目に宿る光の強さ)は何だろう?と思って。たぶん、恐れを宿していない。(私のことを)怪しい、どうジャッジしようなどと全く思っていない。

その強さは何だろう?それを映像で撮りたいと思いました。

佐藤
撮っているときの心境は?

広田
編集には最低限のことを入れました。ひどい話はもっとあって、話を聞いている時に泣くわけにはいかないと思っていたのか、意外と平気で聞けているかもしれないと思いました。けどある時首都で歩いていたら、まだ瓦礫や爆弾の穴があいていて、大きな穴に落ちかけたことがあって。周りの人たちが手を差し伸べて助けてくれました。

びっくりして、近くの木の下に行って一人になったら、ボロボロ涙が出てきて。みんな本当にやさしい。

子どもたちは「みんな兄弟」で、犬の子どものようにじゃれあって大きくなります。その弟が、行方不明になったり、目の前で殺されたり、それはどれほど辛いだろうか。子供を奪われたお母さん達を思うと胸がいっぱいになってしまって。

 

佐藤
自分だったら耐えられないし、話を聞いているだけで泣いてしまうと思います。

広田
今見返すと、自分に子供がいる今はとてもあんなインタビューはできないなと。自分が子供だったからできたことだと思います。ティモールの人たちも、むやみやたらに話をしなくて。近しい友人にも話していないこともあって。「なんで聞きたいの?」とよく聞かれました。

ティモールは独立したけど、日本ではこの問題は終わっていない。世界にはまだ平和は来ていないと思う。きっとあなたの話を日本で届けに行くから、未来のために話してほしいと言いました。その約束が、だんだん大事なものになっていった気がします。映画を編集したこともないけど、「絶対に届けなきゃ」と思うようになりました。

 

アレックスからのメッセージ

佐藤
映画を観てくれた方に、どういう風になってもらいたい、という思いは何かあったんですか?

広田
こうなって欲しいという思いはないんですが、アレックスがくれたメッセージがあって、この場を借りてお伝えしたいと思います。

「もしあなたの仲間が10人しかいなくて、対するものが大きく巨大で1000人にも見えても、あなたのやっていることがいのちに沿ったこと、いのちが喜ぶことであれば、なくなった人達がついていてくれるから、どうか恐れないで続けてください。

仲間が少なくて不安になったら、僕たちのことを思い出してほしい。僕たちはとても小さかった。あの巨大な軍を撤退させることは、奇跡だと笑われた戦いでした。でも最後には軍は撤退した。それは現実に起きたことだから、どうか信じてほしい。」 

というメッセージです。きっと、この映画館もそうだと思います。

 

佐藤
この映画館も、二人から始めて、募金を集めることによってみんなで作った映画館。笑われることもありましたが、本当に届けたい、魂が喜ぶことをしたいと思ったときに、いろんなものが動き出しました。

ティモールのお話も、奈津子さんだけでなくいろんなものが力になって動いていった気がして、シンパシーを感じます。

 

あなたの山の名前は?

佐藤
以前お話を聞いたときに、印象に残っているのが山の話で。

広田
ティモールでは電気が来ていないところが多くて、電気が切れたらおわり。(カメラの)充電が切れると、みんな生き生きと話し出すんです。(会場から笑いが起こる)悔しいと思いながら、覚えるしかなかった。

ある村長のおじさんに聞いたことがあって。本当にきれいな村で、ここはいい自然の循環で暮らしているけれど、私は日本に帰ると都会で、大地から切り離される気がする。という話をしたら、村長のおじいさんに、祈ってあげるからあなたの山の名前を言いなさいと言われて。答えられずにいたら、叱られました。
飲んでいる水をくれている山の名前でいいんだと言われて、それでもわからない。すぐに日本に帰って山にあいさつしなさいと言われました。山があなたを育んだし、何かあったら助けてくれるからと。山には聞こえているからと。調べたら、木曾の山でした。

それからは、水を使うときに思い出して「ありがとう」と言って飲むようにしています。 

 

3.11(東日本大震災)後の日本

広田
映画の試写会を始めたのは2009年で、公開は2012年でした。

佐藤
3.11(東日本大震災)を挟んでということですが、どのように見られていましたか。

広田
ティモールの長老に聞いた言葉があって。自分は人類の未来に絶望していて子供を産む気にもならないと相談しました。すると長老が、もうすぐ大きなカーペットが滑り落ちる、ということを話されました。

今までも繰り返されてきたことだけど、自然の理に沿わないで無理やり奪ってきてまわしているものは、自ら長続きしなくなり、滑り落ちていく。それでいいんだと言うように。つまりそのカーペットは、自然から奪ってきてまわす近代の経済のように思います。それが臨界点に達して滑り落ちると。

私はカーペットの上が人間の居場所かと思っていましたが、彼らの生活を見ても、ほかの先住民の方たちを見ても、カーペットの下に大地があって、文化があって、市場がまわっていて子供たち成長している。何にも恐れることはないと思いました。
なるべくなら、カーペットが抜け殻のようになって、誰も傷つけることなくみんなで成長できればと思って。その言葉を聞いたのは2004年でした。

3.11は、人間中心の近代社会が臨界点に近づきつつあるのかなと。原発のこともそうだし、経済が悪くなって最後の手段の戦争が選ばれるのかなと。戦争と裏表の、平和に見える暮らしがあって、ある日くるっと裏返って戦争になる。本当の意味で、戦争から独立した暮らしを立てていかないといけないと、改めて思いました。

 

佐藤
日本に対して絶望するところもありますが、カンタ!ティモールを観たお客様が泣いているのを何度も見て、人の力があると毎日噛みしめています。

広田
何のあてもなく撮影していたんですが、上映をしてお顔を拝見するとわかるんです。世界が良くあればいいなという、やさしい顔に出会う。この人に会うために、インタビューや歌を持ってきたんだなと思います。

「カンタ!ティモール」はマイナーな映画で、数万人にやっと観て頂きましたが、数じゃないんだと思っています。一人の人と、ティモールの人たちの間に何か化学反応が起きた時の力が、たった一人に届いたということが、大事だと思っています。

佐藤
映画館を経営していると数を考えてしまいますが、本当にやりたかったことを考えたときに、誰かの心を動かしたいということがあって、忘れてしまいがちな本質を体験として頂いてありがたいなと思います。

 

広田
ティモールでは、山に入ると道なき道を行くんです。昨日道だったところが川になっていたりする。

それもあって、家を出る前に祈ってくれる。ある日、写真を見せてもらったことがあって、亡くなったお母さんの写真がすごく胸に残りました。その後、渡れないだろうという川を目の前にして、渡り切れた時、あのお母さんがいる!とありありと感じました。
霊感は全くないですが、そう思ったときに、名もない人だけどその人は平和を願って亡くなった方なんだろうなと思って。
その願いや思いはきっと届くと。私たちが心で思ったことを、もっと信じてもいいのかなと。

それは、ちっぽけでも、ティモールで起きたことのように、リレーのように手織物のように重なって重なって、本当になるんじゃないかなと。だから、一人でも全く恐れることはない。平和であるようにと強く思ったら、それが世界の誰かにつながってその人を揺り動かすかもしれない。それが大事だと思います。

何の根拠もないけど、ティモールの旅をして、この力の源泉は、人の力の源は、そこだなと。それを愛と呼ぶのかもわからないけど、そういうものがこの奇跡と呼ばれた平和を成しえたと思うんです。

 

これからの生き方について

佐藤
これからどんな生き方をしたいですか?

広田
カーペットからだんだん降りていくというのは頭にあります。自給自足はできなくても、仲間・地域で小さく暮らしていけたらいいなと。

 

佐藤
ティモールに僕たちができることはありますか?

広田
ティモールの方に同じことを聞くと、よく返ってくる答えが、「あなたたちの社会をよくしてください」という答えでした。
私たちが望んでいる平和はまだきていないんだ。これから一緒にやっていきましょうと。

 

 

(これよりお客さんの質疑応答に入ります)

怒るのは神様のしごと

お客さん
映画の中で、何人かの方が、兵士を恨んでいない、怒っていない。家族をとむらいたいだけだと言っていましたが、本当に誰も怒っていないんでしょうか?
バルカン半島の村で虐殺があった際のドキュメンタリーでは、今も憎んでいるから近づかないと言っていました。何が違うと思いますか?

広田
ティモールにも真実和解委員会があります。インドネシア軍はドラッグやお金や武器をちらつかせて仲間割れをさせようとした。ティモールでも1割ぐらいの人が軍に協力して、村人を売るようなことをしました。

村人と村人の和解は難しくて。いまだに時間をかけて和解を進めています。取材で7回東ティモールを訪れて、限られた人にしか会っていませんが、その中で怒りのエネルギーを語る方は一人もいませんでした。村人と村人の間では違うかもしれないけど、取材ではそうでした。

もちろん小競り合いはあって、普通の人間模様があります。

ひとつ大きな柱があると思うのは、それぞれの村に長老、村長、遠くを見る人、言葉の人という存在がいて、彼らの言うことの根底に、いのちはひとつという考えがあるんです。あなたが叩かれたら、同時にあなたは叩いた経験もする。あなたが叩き返したら、あなたはまた叩かれる経験をすることになる。それだけのことだ、と。

いのちはつながっている。若者たちも、ケガの治療を受けながらその話を聞いて育つ。その伝統的な在り方が、ひとつ大きいのかなと思います。

もうひとつ水源地にワニがいて、水を汲みに行くと3ⅿものワニがすぐ近くにいるんです。みんなはワニとは呼ばずにおばあちゃんと呼ぶ。先祖を救った存在として。おばあちゃんお水もらうよ~といって水を汲む。悪いことをしたまま水を汲みに行くと、おばあちゃんに嚙まれると言われていて。大人の漁師でも、喧嘩したまま漁で潜ると噛まれるから、仲直りしてから漁に出ると言うんです。お天道様は見てる、の実写版のような。

ある時インドネシア兵が、皮や肉がお金になるとワニを射殺して持って行ったと聞いて。それはティモールの人達は怒ったでしょうと聞いたら、怒るのは神様のしごと。我々はとむらいをした、と言われました。

もし罰や裁きがあるのならそれは神様がすることで、人の仕事じゃないと。とむらいは人の大切な仕事。だから亡くなった方の骨を探し続けていますが、怒りというのはそういうものだと聞きました。

 

近代化と豊かさのものさし

お客さん
映画の中で、近代化は大事だという意見と、近代化が進むと人間が孤立してよくないというアレックスとレオの議論がありましたが、どう思いますか。

広田
アレックスの世界の見方に共感できる部分もあります。車に乗っている人を見て、車がないから自分は不幸だという。そのトリックにはまるといけない。独立して感じるのは、あなたたちは貧しいですよと外から言われてしまう。貧困がそこで作られたときに、大きな戦争を含めた経済システムに巻き込まれるもとのような気がします。

その土地の暮らしがあって、村のシステムがあって、それはどこのものさしでは測れないもの。国連のものさしでは測れないはずなのに、数字で見せてくる。そうすると村の暮らしが根底から変わってしまいます。

全部があってまわっていたものが、子供たちが田んぼを耕すことを児童労働と言われる。その生活から多くを学び、遊んで、とても豊かな暮らしがあって、一概には言えないところなのに。この二人の会話は掘り下げようと思うと深くて。私たちの世界がこれからどういう道を選んでいくのか、おもしろいところだと思います。

佐藤
近代化で迷いが増えますが、家族、一個人、出会った人たちとのものさしで世界を見られたら、豊かになっていくんじゃないかと思います。

 

広田監督からのメッセージ

佐藤
最後にメッセージをお願いします。

広田
ダンバー博士(*ロビン・ダンバー。イギリスの人類学者、進化生物学者。)が提唱している「ダンバー数」という説があるのですが、脳全体に対する大脳皮質の割合は、群れの数に比例するというものです。チンパンジーは30、人は150~200と言われています。
ティモール村や古くから保たれているコミュニティーも同じくらい(150~200)で作られていて。すごく理にかなっているなと。山の話もありましたが、わたしたちは日本国民である前に山の子どもであって、150人のコミュニティーの一員で。その150人のコミュニティーが健康的であれば、戦争は起きないと思うんです。

大きくなければ意味がないとか、この映画館を大きくしろとか(笑)、大きい小さいにさらされてきていますが、目に見えないものを見ようとする視点で暮らせればいいんじゃないでしょうか。

アレックスが言うように、あなたの魂が喜ぶ仕事をしてください。それが進んだら、魂が喜ぶ仕事の先に、武器を作るとか、争いはきっとないはずだと思います。

インドネシアの元兵士にもインタビューをしましたが、みな口をそろえて、自分の意志ではなかった。命令だった。ドラッグで記憶がないと言います。喜んで戦争をやっていた人はひとりもいないと思いました。軍にお金を供給している財閥の社長に聞いてもそうかもしれない。

私たちひとりひとりが本当のことを始めたら、たとえそれがお金にならないことでも、やめろと言われても、でも何か体が向くこと、寝てなくても食べてなくてもやれてしまうこと、そういうことがきっとやるべきことで。
その先には絶対、「こう」じゃないシステムが作られていくと思うので、皆さんのやられていることがこれからもっとうまくいきますように。ティモールの人達が、背中を押す力の一つに加わってくれますようにと思います。

 

小向サダムさんによるアコースティックライブ

映画と同じように、あたたかみのある熱量の高いメッセージを広田監督から伝えて頂いたところで、引き続き小向サダムさんによるライブが行われました。

サダムさんは、独立1周年の際に広田監督とともに東ティモールを訪れました。サダムさんとアレックスが出会い、曲作りをしていく中で、映画に発展していったそうです。

シネマ・チュプキ・タバタの劇場の床は人工芝でできていますが、その芝が気持ちいいと裸足で登場したサダムさん。

1曲目は、映画の中から口笛とアコースティックギターで始まる「マウンアリン」を、やさしく伸びやかな歌声とともに披露してくださいました。よく聞かれる質問、ということで身長が190cm(!)あり、190cmあるあるで場を沸かせた後、

オリジナル曲を披露。そして、カンタ!ティモールを撮るきっかけとなった「星降る夜」を、日本語バージョンで会場の皆さんと一緒に歌い、和やかな雰囲気に包まれました。

シネマチュプキタバタでテペの輪

「本当はね、手をつないでテベ(*手と手を取り合い輪になって足を踏み鳴らし、大地に感謝を捧げる東ティモールに伝わる踊り)とかやりたいんですけどね…」という小向さんの一言をきかっけに、やりたい!という声が上がり、急遽全員でテベを踊ることに。みんな裸足になって、「サラウ村のテベ」にあわせ、輪になって人工芝の大地を踏みしめました。

(引用:映画『カンタ!ティモール』ホームページより)

 

だんだんと速くなるテンポに、場内はヒートアップ。最後はサダムさんの「VIVA ティモール!独立15周年おめでとう!」の掛け声に歓声があがり、会場が一体となったところでライブイベントは幕を閉じました。

映画館で、裸足になって踊る、なんてことがあるとは思いもよらなかったと思いますが、大地を踏みしめる感覚を共有したみなさんの表情は晴れやかで、「魂が喜ぶ」とはこういうことなのかなと感じた瞬間でした。

この日、この空間にあった幸福感が、みんなの願いが、ティモールや平和を願うすべての人に届くといいなと、そう思わずにはいられませんでした。

 

(文:加藤芽実)

「カンタ!ティモール」映画情報詳細

 

映画:カンタ!ティモール
公式ホームページ: http://www.canta-timor.com/index.html
シナリオ/編集/監督:広田奈津子

プロデューサー/撮影:小向定
監修:南風島 渉
監修:中川 敬

シネマチュプキタバタ場所詳細

 

店舗名:「CINEMA Chupki TABATA(シネマチュプキタバタ)」

ホームページ:http://chupki.jpn.org/

定休日:水曜日

営業時間:10:00〜23:00(上映時間はホームページを確認ください)

住所:〒114-0013 北区東田端2-8-4 マウントサイドTABATA

電話番号:03-6240-8480

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